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原始仏典を買ったのです。 [ほとけの話]

数年前、不意に思い立って世界の3つの宗教の本を求めた。

何故世界に3種の根幹的な宗教があって、今まで統一されることもなく、また廃れることもなく存在し続けたのか不思議に思ったのである。

買い求めたのは コーラン と 出・エジプト紀 と 仏教(概説書) いずれも岩波書店である。

いわずもがな、コーランはイスラム教、出・エジプト紀はキリスト教・・・といえるのかどうかはわからないが血の近いもので、かつ一番興味をひかれたので買い求めた。
仏教(概説書)は欧米の学者が仏教について簡潔にまとめた上・下巻であった。
コーランは上・下、あるいは上・中・下巻だったかもしれない。


自分は、コーランが一番面白く読みやすそうだと思った。
口語的で刺激的であるようにみえた。
しかし、実際読み始めてみると、目が進まなくなった。言葉が入ってこなく、ページをめくることの意味がなくなった。字を目で追っても、物が詰まったような感じがして駄目であった。
コーランは、上巻の10ページほどで断念した。
今、手元にない。

出・エジプト紀は、得るものが大きそうだと思った。
なにか大きな秘密とパワーに辿り着くような気がした。
実際読んでみると、退屈であった。
言葉の片々が堅苦しく息が通わないように思えた。
20ページほどで断念した。
今多分家の中のどこかにある。


要するに、読むことができたのは仏教だけでした。理解したかどうかはともかくとして。

人は、多分その時求めてるものしか入ってこないんだと思います。

私は仏教の典が好きです。
中国や日本で編まれたものよりも、インドのパーリ語聖典が、興味をひかれいくつか読んでいます。


大学にいた時分に一般教養で仏教の授業をとり、(単位が取りやすいと評判であったため)その時にテキストとして「無門関」という禅宗の公安集(岩波の単行本)を得ましたが、それも好きで、今でもそばに置き、たまに開いては、和尚たちのロクでもない言動に見入っています。

「空」のことが一番中心的で、また、惹かれるものだと思います。


私たちみんな、体があると思ってます。
しかし、それは幻想かも。

私たちみんな、「楽」だと思ったりします。
それもきっと作りだされた「思念」です。

「苦」の中にいるということも、作りだされたにすぎないかもしれません。

「楽」があるということは「楽を失う」ことが「苦」になるということです。
つまり「楽」であるはずの「楽」の端緒が実は「苦」の端緒になっているということです。

逆もまた、「苦」があるということは「苦がなくなる」ことは「楽」の端緒になり「苦」と「楽」は実に隣り合わせで裏表。


要するに、自分の体に合ったものが私の場合、原始仏典、あるいは禅的な何かでした。

これらのもつ「囚われない」のメッセージが、求めているものだったんだろうと思います。

ですから、言葉でこれらを語るのも本当は反則です。
言葉は、自分を表現するためにそれを使っているつもりでも、実はいつの間にか、言葉によって私たちが縛られるものだからです。

言葉で上手に語ろうとすればするほど、論理的に語ろうとすればするほど、逃げていくでしょう。

黙って空を眺めているのがよろしいのだと思います。


このように仏教に惹かれる私ですが、いつごろからなのかはよく分かりません。
大学で無門関を得た時にはすでに、共感していたと思います。

しかし大きなきっかけの一つとしては、弟の18歳での夭逝かと思います。
私は25歳、真夏の、夏祭りの季節に突然でした。
死因は、公的な機関において検められました。
彼は、生まれつき病気であったということでした。
何万人かに一人の確率で起こる、治療法のない遺伝病であったということです。
その彼の顔が彫像の顔によく似ており、そこからひきこまれたということもあります。

その思想を見つめていきますと、えも言われない美しい心象がひらいていくときがあります。
その、中にうまれた美しさをみて安らぐこともあったのでした。

また、数年前、世の中に対して苦しみが多かったころです、無性に木が彫りたくなって彫刻の師を求めました。
かなり近場に、しかも安価にみつかりました。
仏を彫られる方だったので私も倣いました。
今はお亡くなりになった。

そういうものに対して向かい合っている時が一番解放されているようです。
私が、そういう性質のにんげんだということです。

私は特定の宗教団体には、一切属していません。
属することを求めていません。
お墓も、普通の浄土宗のお寺です。
葬儀にもこだわりがなく、葬儀の有無が何かに影響するという考え方は・・・上手く言えませんが、どうなんだろう?と思ったりもします。多分、非常識なんでしょう(笑)


そういうことです。
私の呟きにはこれからも、仏教に関連することがたまにでてくるかもしれません。

一人のスーパーエクセレントな人間・シャーキア族のゴータマさん。
その方がどう軌跡をしたか。


おもしろいじゃあ、ありませんか・・・。。。

これから、長部経典とじっくり向き合っていきたいものです。



ちゃお♪ 










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