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肺胞も八手も咲くがよろしかろ  岡田一実 [俳句鑑賞]

 

 

肺胞も八手も咲くがよろしかろ  岡田一実



 



 



この句好き。



この句は批判されたりもしたと聞いたので、



じゃあなんで自分は好きなんだろ?…と思って、



考えながらほつほつ書いてみることにしました。



 



この句の面白いとこ。



一つには、肺胞も八つ手も、なんかエグい。見た目がエグい。



八つ手って、可愛いだけの植物じゃない。葉っぱがおっきくて掴まれそう。形も手みたいだ。「人」を感じさせる植物だ…。



肺胞は?もちろん、直に見たことなんてないけど、生物を習ったことがある人なら、知ってる。脈に覆われた小胞の集まりだよね…こわい。



よく見れば、八つ手の花つき方はまさに肺胞そのものじゃない?そっくり。



 



それと、も一つ。



例えばアレルギーの人は花が「咲いた」ら苦しい。



植物も、他の生き物もめいめい、それぞれの本領を発揮すると対抗線にあるものが苦しくなる。みんなただ、生きてるだけなのにね。



体の中にだって、私の都合を無視して「咲く」ものがある。



体の中で癌細胞が「咲いた」ら?



肺胞が「咲いた」ら?あの小さな袋の一つ一つが「咲いた」ら、苦しそう…。



私の体なのに、私を病ませるものが存している。なんでだろう?



私の体なのに、私と対立する細胞がある。まるで独立した一個の生命体として、体の中に間借りしているみたい。



体の中で「咲く」もの。それが私を苦しめるけど、どうもできない。



だって、咲きたいものは、みな「咲く」んでしょう。



生き物はみな、そうやって。



だから、咲いたが、よろしかろ。



 



そんな、さりげない諦めを感じて、この句が好きなのでした。



 


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