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合同句集「水の星」 [俳句鑑賞]

 

 

合同句集「水の星」は、実験的俳句集団「鬼」の20~40代から有志8人の俳句及び詩を集め一冊としたものである。

タイトルは鬼貫の一句「闇の夜も又おもしろや水の星」からとられたという。

8名の作家の句作品はほぼ、それぞれ100句前後(うち1名は詩作品を掲載)。また、それぞれの作家ごとに作品評やエッセイが付されてある。

以下、感銘を受けた作品を抜き出してご紹介したい。

 

 

 

 

 

髙勢 祥子「触れる」

作品評

「身体」への関心  今井 聖

 

ねと言つてやはらかなこと雲に鳥

錆びてゆくものの味して花の雨

青蛙こどもは水滴のやうに

エスプレッソマシン鎮座す麦の秋

花火見にゆく群集のくろい髪

あたたかい手かも秋海棠を指す

唇に入る髪苦し冬の園

直線の多きコートを脱ぎ捨てる

 

 

1句目、「ね」という音のやわらかさに着目し、その微妙な感覚がすんなり表されているところに瞠目した。3句目、青蛙のみずみずしい青さを背景に、子供が大きな水滴に化してゆくような、静かな透明感を感じた。7句目も好きである。

今井聖さんの作品評に書かれてあるように、この方の100句には身体の部分が表われている作品が多く、それが触覚を中心に編まれているといった印象がある。触覚が表われているもののそれが決して厭味でもいやらしくも無く、うっすらと仄かなのだが、誰にも記憶に在るような皮膚感覚が鋭敏に捉えられてある。

 

 

 

田口 茉於「美しき箱」

作品評  

季節に触れる、わたしに触れる 三宅 やよい

 

蛇穴を出づメディチ家の黒簞笥

美しき箱送りあふ梅雨晴間

水蜜桃美しく眉ひそめたる

黒人霊歌遠くなるとき鳥渡る

 

 

2句目が一番好きだ。社会生活で、日本の贈答文化を実感する機会は多い。仕事や親戚同士の付合などで綺麗な箱に入ったお菓子を送り合う様を、誰もが一度は目にしているのではないだろうか。お菓子を入れた箱は、捨てるにはもったいないほど美しく、箱こそが主役なんじゃないかという気さえする。

「美しい箱」という大胆な省略が象徴性を生んで、単なる現代的な風俗を描いたにとどまっていないところがとても良いと思う。

 

 

 

井上 明惟子「ヌーン・シティ」

エッセイ 

余暇の遊戯ではなく

 

二匹目の腸落とす母の恋

つくしても春の闇より幸福よ

スッカーンと春の憂鬱投函す

吊皮の下の人間地獄図絵

一枚に幸福たたまれた五月

 

 

軽妙な語り口と現代的な事象が生きた作品群。

集中、なんとなく靴先を見ている感じ、己が掌をふっとみつめている瞬間を想わせる句があった。

ご本人によるエッセイ「余暇の遊戯ではなく」の最後を締めくくる一文を抜粋するに―「大衆性という漠然とした、得体の知れない場所で、大衆の中にいて俳句そのものを優雅にあやつれるようになった時、俳句が余暇の遊戯になった時、果たして私は、俳句をつくり続けているだろうか。」とある。

おおいに、共感するところである。

 

 

 

原 千代「慟哭」

作品評 

原千代さんのこと いがらしみきお

 

「宗左近先生に捧ぐ」と題した7句より

慟哭

春疾風細む肋骨爪弾けり

死の床の聲あたたかし春の虹

死の匂ひ狂気の匂ひ桃腐る

骨壺に納まりません星月夜

以後、詩作品と「阿修羅像」3句、「二〇一一年・春」6句

 

 

「慟哭」。宗左近先生の臨終に立ち会われた体験を詠まれたものだろうか。

人の臨終に際する慟哭が興奮を帯びて語られているように感じた。

例えば1句目の「春疾風」の句では衰え細む肋骨を爪弾いたりなどしているし、2句目では「死の床の聲」はあたたかく、しかも「春の虹」が見えている。

このように、受け止めがたいであろう死に際して明るいモチーフを合わせているところに、それだけに強い興奮と、狂気じみたような悲嘆を読みとってしまう。

先生に対する愛惜いかばかりか。ほぼ愛執に近いような強い感情を想ってしまう作品だった。

 

 

 

磯部 朋子「方位磁石」

作品評 

少女の仮面 三浦 郁

 

方位磁石

立春やモガ繚乱の本を愛づ

臨月の手足をひたす春の水

待合室妊婦らは満ち満ちて春

乳張つてきてたんぽぽの黄の濃さよ

炎昼や給湯室で乳しぼる

ほのあかき耳朶のうら走馬灯

冬の星指さすほどに増えてゆく

 

別れ告ぐ

月こよひ巨大団地は丘の上

春ともしなまなまとせし壁の色

(ほか、「少年と鳥」)

 

 

女性らしい華やかさ、活き活きとした言葉が眩しい作品群。 

妊娠出産―「方位磁石」、住み慣れた家を離れる時―「別れ告ぐ」、子の成長―「少年と鳥」と、100句を通して一人の女性の生の流れが読みとれるところが面白く、実感がある。

殊に「方位磁石」の項の、輝かしくも迫力のある妊娠女性の描写がとても良くて、春にぴったりの爛漫さだと思った。

 

 

 

角南 範子「永久歯」

作品評  

流行と永久歯  柳生 正名

 

春ショールぬらぬら揺れて進化論

ヒドラゐる青き桜の散る夕べ

友の子に指吸はれゐる遅日かな

脇の下洗ひ春愁霧散せり

空の幸福受け取めて凧揚がる

漱石の脳ある校舎蟬時雨

背の骨の曲がりしところ秋来る

わたくしの本籍住所からすうり

 

 

この方の作品には身体を描いてかつ、大胆である様を想った。

ある意味で生々しいほどの身体を対象に捉えながら、そこに溺れずパキッと切り離し詠んでいるような感じだ。

1句目や2句目の感覚は、集中もっとも瞠目した作品で、不気味さ、かつ不穏さを湛えながら美しい色彩の絵となっている。そんな作品を羨ましく思う。

5句目「空の幸福」の句も好きだ。

 

 

 

菊池 麻美「白い庭」

紀行文+海外詠 

夕焼けに似た朝焼け

 -ラオス、三都を巡る旅

 

鱧食べて作り笑いをしていたり

良心がいたむ野菊が刺さっている

秋雨や火傷のあとのきらめけり

冬の夜や爪を磨けば白き粉

冬日さす洞のある樹になき樹々に

如月や詩集を包む薄き紙

 

 

物を即物的に捉えた作品が目をひいた。

4~6句目など、描かれたそれぞれの物が、かさかさと乾いた感じがする。色調もさらしたように淡くて生気が無い。そのようなものを見つめる目線は、どこか虚ろな、うすうすとした孤独を感じさせる。

3句目、秋雨のあとの路面が燃えるように輝いている様だろうか、それを痛々しい火傷のあとのように感じているところに、強く共感する。

 

 

 

橋本 直「エイチ」

作品評  

真摯・透明  深見 けん二

 

ゆつたりとレジ打つ春の薬剤師

情念と時間に於いて蛇苺

和船ぎぃと進み入道雲多淫

風鈴や舌噛めば血の流れ出る

紙の桃切れば出てくる戦神

ふだらくのあかりへあめりかしろひとり

海月浮く自閉の中に海をもち

残暑といふ四角い枠の抽象画

廃船のペンキの厚き天の川

出アフリカ犬はどこから秋茜

左岸に生まれ冬の月と渡る

湾曲の校舎は冬の有機体

限界までリクライニングする雪野原

 

 

ここまで女性の作品が続いてきて、最後が男性の作品となった。男女の別のせいとは限らないが、見た目の印象から異なる。

惹かれるけれども鑑賞が難しい、ということについて思う。

例えば3句目の「和船ぎぃと進み」の句。和船というもの、現在ではほとんど目にすることはないし、その言葉を句中に用いること自体がタイムトリップ的な効果をもたらすのではないか。それが入道雲の下動き出す景はおぼろながら描くことが出来るけれど、その雲が「多淫」となると、これは一歩進んだ創造となるように思う。

4句目、「風鈴」と「舌を噛む」の配合も、そういった光景は私達の体験の中にはないのではなかろうか。

読み手が体験から景を起こせない時、難解と言われ、鑑賞対象から外される、そういった現象がもしかすると、あるかもしれないと思う。

確かに鑑賞というよりは、句を読んで想像ないし創造するという楽しみ方の方がふさわしいのかもしれない。無理矢理に意味に落ちつけてしまうことは、こうした句群に対してもったいないことのように思える

9句目の「廃船のペンキの厚き天の川」は、そのままの景にとれる句だが、厚塗りのペンキで何度も補修され、いまは廃船となって静かにたたずむ船は、かつては銀河を旅してきたような想像を掻き立てられる。

 

 

 

 

ここ、青森でも桜はほとんど散ってしまったが、まだ八重桜や芝桜、チューリップが咲いていて、春の名残がきらきらしている。

稲田には水が張って、満々と青空を映していた。

そのような春の名残に、とてもよく似合う句集「水の星」だった。これを書きながら、それぞれの作家さんの感性をとても楽しませていただいた。

 

御恵投有難うございました。

 

 

 

 

 


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